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なぜ、BLは「ストレートが目覚める」という描写をくり返すのか?

こういう創作物に夢中になる娘たちは、もし自分の父親が自分と母親を捨てて男と逃げたらどうするのか? 現実の「カミングアウト」を受け入れ、LGBT人権運動に「アライ」として協力し、男同士の入籍と扶養控除を認めるのか?

「だから、そういう意味じゃなくって~w」と言うなら、どういう意味なのか? 実際のLGBT人権運動に協力する気もないのに同性愛を描くことは当事者に失礼ではないのか?

これが、LGBT当事者を含む一般社会がBLに対して抱く疑問ですよね。

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上記の疑問に対して、当ブログは「BLが描いているのは、前近代における成人男性中心的価値観の再生産である」と説明することができます。

証拠は、1960年代の女流がギリシャ神話を、1970年代の女流が稲垣足穂らの著作を読んだことが彼女たちの作品中に示されていることです。

前近代における成人男性中心的価値観を戦後日本の女流が再生産する理由を、フェミニストに言わせりゃ「男性中心社会に対する皮肉」となりますし、耽美派を自認する作家陣に言わせりゃ「耽美的だから」となりますし、より若い世代の同人・BLファンに言わせりゃ「エロいからw」となりますが、そこはじつはどーでもいいです。

重要なのは、BLが、フィクションに基づくフィクションの再生産であって、現実を反映していないという点です。

それは、たとえて言うと、実際の警察の捜査会議にアマチュア探偵が同席して、一般公開されていない情報や証拠品の提示を受けることなどないにもかかわらず、金田一耕介が登場する映画や高校生探偵が活躍するアニメ番組では、そういうことがあることになっているという創作上の約束事です。

現実の新聞に「アマチュア探偵、またお手柄!」なんて書いてあることはないですよね。声紋分析などで専門家の意見を参考にすることはあっても、犯人特定は、あくまで警察のお手柄。そうでなければ、警察は国民から「税金ドロボー」と呼ばれてしまうことでしょう。

そういうのと同じことで、BLを好む人々が言うべきことも「私たちは、実際のゲイの皆さんが高校の先輩に誘われたからホモになったということではないのを知っています」です。

「少なくとも私たち同人およびBLファンが、皆さんが寛いでいるお店まで押しかけて、おじさん達はいつからホモになったんですか~とか、吊橋理論で同性愛に目覚めることって本当にあるんですか~とか質問することはありません。絶対しません。お約束します」です。

この程度のことを約束できないなら、同人というのは社会のルールを守ることができない危険な連中だから、実在児童も危ないので、いまの内に全面規制しろという話になります。

こういう言い方をすると、脅迫みたいなので、あんまり言いたくなかったですから、ここの管理人は「BLはもともと男性文学なんだよ~」と言うところから始めたのです。それを読んだ人々が自分から「あ、自重しろという意味だな」という結論に至ってほしかったのです。

ミステリーアニメを見慣れた現代の若い人々には、そのくらいの推理力があることを期待したのです。

が、世の中には理解の浅い中年女性がいて「でも私は文学なんか読んだことないよ!? 1980年代に少女だった頃に女性のプロが描いた漫画で目覚めたんだよ!?」とかクレームして来たので困ったのです。

こちらは最初から、その1980年代のプロが、自分の少女時代(1970年代)に、二十四年組の作品を読んで「私もこういう美少年のお話を描く漫画家になりたいな」と思ったんでしょという話です。

その二十四年組が男性文学を参考にした証拠があるんだから、1980年代のプロ漫画家は、明治時代の文豪の孫の立場に当たるのです。その1980年代のプロ漫画家の作品を読んでBLの面白さに目覚めて同人活動するようになったという世代は、明治時代の文豪の曾孫です。

どこの流儀の家元にも親がいて、その親の親もいるのです。どのような文化も、人から人に伝えられ、少しずつ形を変えながら受け継がれるのです。自分一人で大きくなったような顔をしてはいけません。

つまり、こちらは一般の皆様にも入手しやすい商業誌という一次史料に基づいて、公明正大にBLの歴史を実証しているだけです。

そこに横から口を出して「じゃあ1980年代の『花とゆめ』の話もしてみろ。私たち同人が『WINGS』が流行したせいで迷惑させられた話もしてみろ。私たち同人が高河ゆんの悪口を言っていたことを知らないのか。その話をしなければ仲間とは認めてやらない」と、小さな仲良しグループのイジメ意識を押しつけて来る1980年代の少女には困るのです。

(話が逸れたので戻しましょう)

BLは、前近代におけるパワハラを美化した男性文学を下敷きにしたフィクションです。オリジナル作品として商業的に発表された作品であっても、本質的に男性文学のパロディです。

その、現代の日本男性にとっては、そういう歴史も、そういう文学もなかったことにしたいというような題材を女流が面白がって採用し、再生産するということを、男性が本気で禁止してやると思えば、どこの議会でも男性議員の数のほうが女性議員の数よりも多いのですから、多数決という合法的手段で即決してしまうことができるのです。

それを防ぎたいなら、やっぱり「女性が面白いと思う心を男性目線で価値判断し、抑圧してはいけません!」というフェミニズム意識に基づく他ないのです。

女流学者や評論家や作家や記者が、議席もないくせに、議場の外で「女性の権利が~、表現の自由が~!」と騒ぐ他ないのです。

そして、それが認められるもんなら、多数決が絶対の正義であるはずの場所で少数派のくせに意見が採用されたということですから、その意味では確かに女性には弱者特権があって、それによってBLも認められると言えるのです。

だからといって、実在LGBTを侮辱していいことにはなりません。

「女子」は万能ではありません。すべてに優先する特権もありません。自分の権利が及ぶ範囲と及ばない範囲の両方があることを理解しましょう。

BLが、あるいは同人活動が生き残る道があるとしたら、このバランスの上において他にないです。




(事務連絡:年内にもう一回まとめてアップロードしたら「総論」カテゴリを終了する予定で調整中です。少々お待ちください)

(2019年1月7日追記:2018年内に終了できなかったことをお詫び申し上げます)


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