生産性が低い仲間だからといって、実在LGBTが二次創作BL同人の暴言を許してくれるわけではないです。

ゲイたちがあなたに期待することは、傷つきやすい少女ごっこではなくて、ふつうにおとなの女性の品格をもって行動できることです。

シリーズR、エピローグ。そして未来への提言。

日本のゲイ・コミュニティというのは、シス・ストレート女性の間で特殊な同人誌が流行したことによって、同性愛に対する偏見が助長され、自分たちが差別される被害が増えてしまったと信じていて、1990年代以来「せめて未成年者には読ませるな」と主張し、BL全体の年齢制限を要求して来た人々です。

したがいまして、もし、シス・ストレート中年女性が「私は1980年代末から1990年代にかけて、そういう種類の同人誌を発行し、未成年者に売ってやった」と自慢してしまった場合、彼らの共感を得ることはできません。

たとえ本人が「私はこの歳になっても独身だから、ゲイと弱者の連帯できる」と言い張って、ゲイバーに居座っても、自分で期待していたほど、彼らの共感を得ることはできません。

ゲイもまた、青少年健全育成を真面目に考えている人々なのです。



同性を志向する実在男性たちは、彼らの後輩である実在LGBT青少年たちが、それぞれの実家で・学校で・アルバイト先で、偏見を持たれず、イジメられず、差別待遇されず、好奇心本位のシス・ストレートによって付きまとわれたり、下品な質問されたりすることなく、伸び伸びと成長し、基本的人権の尊重という国民の義務をわきまえた一般社会による穏やかな祝福のうちに生涯の伴侶を得ることを、切に願っています。

ですから、彼らが「シス・ストレート女性の好奇心を満足させてやるために男同士を誇張的に描いた私の同人誌が売れなくなったんだからね!」と聞けば、「ああよかった!」と思うだけです。それがPTAによる表現規制運動のせいだというなら、ゲイたちは「PTAの皆さん、ありがとう!」と言うだけです。

過激性を自慢する二次創作BL同人が、実在LGBTたちの前で被害者ぶった顔をすることはできないのです。うかつにシス・ストレートの口から「弱者の連帯」などと言ってしまう前に、まずこのくらいは対立の構図を見切っておきましょう。

LGBTは、リア充です


LGBTというのは、性的な意味では少数派ですが、社会人としては何も特殊な人々ではなく、ふつうに法律を守って暮らしている有権者です。彼(女)らの多くは「リア充」の仲間であって、交際相手と一緒に実写映画を見たり、スポーツしたりすることが好きです。

つまり、べつに彼(女)らは、一般人よりも「日本のサブカル」に理解があるというわけではないです。彼(女)らの中にも漫画家はいますが、プロである以上は自分の著作権を尊重してほしいわけで、いわゆる二次創作に対しては「微妙」という立場です。

彼(女)らは、ふつうのおっさんであり、おばさんであり、学生さんであり、OLさんです。彼(女)らのことを「一般人とは人間性が違う(から私の味方になってくれる)」と思っているのであれば、その計算高い心こそ、彼(女)らに対する差別です。

厳しいようですが、ここは素直に受けとめて、猛省してください。そして、そこから次の一歩を踏み出しましょう。

新宿二丁目には、いろいろなお店があります。「郷に入っては郷に従え」で、お店側のマイルールに従いましょう。お店の提供する娯楽の内容が自分には合わないと思ったら「女性に配慮して」などと言ってないで、自分が店を出ましょう。自分自身が創作物に文句言ってくる人に対して「いやなら読むな」と言うなら尚更です。

一般的なマナーとして、他の素人客さんに声を掛けてはいけません。あなたが普通のコンビニやファミレスに入った時に知らないお客さんに話しかけないのと同じことです。ゲイバーは、その意味では特殊な店ではありません。「ゲイの世界は、一般の世界とは価値観が違うから、私が何をしても大目に見てもらえるw」と思っているなら、その心が差別です。

シス・ストレート女性が、LGBTの世界で楽しませて頂きたいのであれば、優越感を持ち込むのではなく、客としてのマナーを守りましょう。ノンケさんもどうぞと言ってくださる(そういう看板を出している)お店を素直に利用させて頂いて、ふつうに食事やお酒を注文しましょう。寸劇やダンスが上演されたら、出演者(兼・演出家)が意図した通りのタイミングで笑ってあげたり、拍手したりしてあげましょう。ポイントのずれたところでクスクス笑ったりするのは失礼なのでやめましょう。

現実の同性愛者たちは、あなたが「同人誌」の中で利用したキャラクターではありません。あなたの思い通りに動いてくれるわけではありません。特に、ゲイは、まず何よりも先に、ただの男性です。女性一般に対して違和感があり、反感があると思っておけばいいです。もし、本当に彼らが「女心も分かる」のであれば、女心の計算高さ・ずるさというものも見破ってしまうということですから、泣き落としとか、そういう手段も通用しないということです。

ゲイを相手に「男女平等だから、私を店に入れてほしい」と要求するということは、自分自身も「男性に対して、女性だからといって特別サービスを要求せず、礼儀を守る」ということです。

さらに言えば、トランス男性というのは「女でいると損だから、男になりたい女の子」ではありません。生まれながらの男性です。彼らこそ、シス女性の甘えや自分勝手に対する最も痛烈な批判者だと思っておけばいいです。彼らは小中高校を通じて「女の中に男が一人」という状態で、女性のいやなところをつぶさに見て来てしまったのです。

だから、シス女性が、彼らの前で「私がいちばん可哀想」という顔をすれば、彼らは冷たい目をして「そういう女、よくいる」などと言うでしょう。

実在LGBTの前で、シス・ストレート女性が思い知ることは、自分のずるい心です。彼(女)らを自分に都合よく利用してやろうと計算していた自分自身の心です。そのことを愧じる心を持つことができたら、それがLGBTとの連帯の第一歩です。

本当は、これを1990年代にフェミニストたちが言うべきだったのです。ここの管理人は「あの先生たちが少女(だった頃の自分自身)を弁護することに夢中で、1990年代のゲイたちに配慮できなかったのはおかしい」と批判するところから始めました。

けれども「おかしいから、なんなんだ」と考えた時に「自分が抱えるゼミ生にだけでも実際の人権尊重ということを教えるべきだった」という答えが見えて来たので、先生たちの口から言ってくれることを期待して待ってないで、自分で言うことにしました。

新しい世が、LGBTご一同様にとって、よりよい時代でありますことを、心からお祈りしております。


(※本稿を「シリーズF総集編」と思って頂いてようございます。なお、シリーズB総集編は既出記事『禁断の愛を越えて』が該当します。あわせてご清覧を賜りますれば幸いに存じます)




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