【やおい派とJUNE派をめぐる混乱。】


日本の研究史には「マルクス発言の意味を探って学者が議論を重ねたのに、ふと気づいて原典を当たってみたら翻訳の間違いだったことが分かった」なんて話があります。

「どうも話がおかしい」と思った時は、最初に立ち返ってみると良いです。

雑誌の名前を取って、投稿者が呼ばれることが普通です。白樺派とか、青鞜派とか。

あえて例えれば、1970年代末に『やおい』という雑誌が創刊されたので、そこへ投稿した人が「やおい派」と呼ばれただけです。

先行して『JUNE』という雑誌があったので、そちらへ投稿した人は「ジュネ派」と呼ばれただけです。

昔は、今でいうボーイズラブをJUNEと呼んだり、やおいと呼んだりしたが、違いがよく分からないというのは、すでに混同が起きてから振り返った時の印象です。


【名前が後から降ってきた。】

1970年代末に至って初めて、「親愛なる女性の皆様、今日から“やおい”の名のもとに男色を描きましょう」という旗が掲げられたわけではありませんでした。

男性における少年趣味を、女性作家が創作の主題とすることは、市販された書籍上で確認できるだけでも、1960年代初頭には始まっています。

1970年代末に至るまで、それを指して「こんなもの、山も落ちもないじゃん」という人はありませんでした。

「あまり面白くない」と思った人があったとしても、プロ作品の価値をおとしめる名称を言いふらせば、表現の自由の侵害です。出版社としても、営業妨害とか名誉毀損くらいは言うことができます。


【宣伝しなかった。】

今でも「なぜサークル『らぶり』の紹介した名称が、アニメ二次創作の意味になってしまったのか」と不思議がる人もいます。

『らぶり』自体が、すでにプロ活動をしていた漫画家の集団でしたから、まさか「素人の皆様、今日からアニメの著作権を無視する活動に、この名前を使ってください」と言ったわけはないだろうと思います。

その名称が紹介されたとき、すでに「SFアニメから衆道物語を発想する」という作業も行われていました。

それが当事者にとってどんなに面白くても、著作権上の難点がある以上、市販雑誌『JUNE』へ投稿することはできないから、肉筆回覧に留めておいたり、即売会という特殊な会場でだけ、そっと展示したわけです。

それは、他人に言えないものでした。プロの流儀とは違うものでした。耽美やロマンといった名称で市販されているものとは別の商品でした。一緒にされては困るものでした。なぜ困るのか。

竹宮流オリジナル耽美だと思って手に取った購読希望者が「なにこれ。弟が見てるテレビまんがのヒーローの名前がいっぱい出てくる。テレビ局に問い合わせてみようかしら」って思う可能性があるからです。

だから、ちがう名称が必要とされたのですが、当初は自分たちで思いつくことができませんでした。そこで「アニパロ」と言ったからこそ、「どーじんし=アニパロ=エロ」という勘違いまで発生してしまったのです。

そこへ「やおい」という言葉が紹介されたから、二次同人側の勝手で「他人の紹介したキャラクターを流用するのと同じように、他人の紹介した名称を自分たちの看板として流用する」ということが行われたわけで、ある意味、一貫性はあります。

そんなふうに姿を隠そうとしていた人々が、ついに「山も落ちもない」という名称を採用したからといって、手塚治虫の自宅へ押しかけて「先生、私たち山も落ちもないけど、いいですよね!」と言ったわけはありません。

竹宮恵子の自宅へ押しかけて「先生、私たち山も落ちもないから、先生も山も落ちもない仲間ですね!」と言ったわけもないと思います。

『JUNE』に投稿して、プロの編集者や、竹宮を始めとする先輩作家に見てもらうことと、即売会限定の素人によるパロディ活動を「やおい」と呼ぶことは、当事者の意識の上では、はっきりと区別されていたはずです。


【軒先を借りて定期会合。】

コミックマーケット自体が、本来はオリジナル漫画の品評会を目指していたようです。その軒先を借りて『やおい』というパロディ専門雑誌に投稿する仲間が定期会合を開いたと考えると、イメージしやすいかと思います。

そこで人物の組み合わせが検討されたり、次はどのアニメを題材にするかが検討されたりしたわけで、一人で昔ながらのやり方で(純文学を参考に)小説を書いて『JUNE』へ投稿していた人は、これへ参加していないはずです。してもいいですが。

英語に自信のある人は、海外の作品を翻訳して出版社へ持ち込むことができました。この人も、必ずしも二次創作の定期会合をのぞきにいかなくても良いはずです。

「即売会へ参加したことのある、やおい同人」でなければ、ボーイズラブを書いたり、海外のM/Mロマンスを取り寄せたりしてはいけないなどという決まりは、ありません。

そして、やおい同人自身は、自分の存在を宣伝することはありませんでした。

同人としての自覚がある人が、わざわざ新宿二丁目へ押しかけて「私達、やおい同人で~~す♪」と自己紹介したわけもないだろうと思います。


【街の混乱。】

1990年代に入ると、オリジナル小説作品の投稿場所だった『JUNE』が勢いを失くします。

若者が本を読まなくなったからとも考えられますが、大学進学率の急上昇・ライトノベルの隆盛と時期的に一致しているところを見ると、文字情報だから疎まれたというより、他の雑誌・読みきり単行本レーベルが増えたので、「漫画と小説と素人投稿を抱きあわせにした、専門情報発信誌の初期形態」としての役割を終えたということでいいだろうと思います。

1960年代までの純文学を下敷きにしたのが1970年代の「耽美」でしたから、1980年代以降、口語体(新井素子などのライトノベル)の隆盛や、漫才ブームを下敷きにした作風へ若い人の関心が移ったとしても当然だったろうと思います。

こうなると、当然「ジュネ派」はいなくなります。この時点で「ボーイズラブ派」(でなきゃ「ルビー派」)へ移行できれば良かったのですが、顕著な混乱が生じます。投稿場所がなくなって、新人の切磋琢磨する場所=同人誌即売会となってしまったことが、一因ではあるでしょう。

「読みきり単行本レーベルが存在できる」と大手出版社が踏んだほどですから、この時点で読者は大幅に増えていたのでしょう。その全員が「同人誌即売会参加者」「二次創作者」とは限りません。

テレビは「ミスターレディ」などと言って、女装者をバラエティの素材として取り上げるようになりました。

1990年代半ばに、ゲイが好んで「やおい」という隠語を使いたがり、「やおいは二丁目で騒ぐな」というクレームを発するようになりました。彼らも、日頃から隠語が好きです。

でも、新宿二丁目は、夜間に飲酒喫煙をたしなむ歓楽街のはずです。そこへ、「やおい少女」と呼ばれた人々が押しかけるのは、おかしいのです。少女なら、クレーム以前に補導してもらってください。

1990年代末に「やおい文学とは何ですか?」と帯を付した書籍が登場しましたが、それを書いた人自身はオリジナル耽美でハードカバーを何冊も上梓した人で、二次創作専門の素人ではなかったために、とんちんかんな話となりました。

このへんが混乱の頂点です。


【正しい研究方法。】

「ウーマンリブの時代に、女性作家が男色を創作の主題とし、日本では男性もそれに理解を示した」という現象を社会学の題材としたいなら、竹宮などのプロ作家へ礼儀正しいインタビューを行えば済んだ話でした。

理解を示した男性に関しては、彼らが編集者や詩人であれば、表現の自由を尊重するという立場から当然ですし、出版されるや社会全体から激しいバッシングが湧き上がったということでないならば、日本における衆道の受け入れられ方・および女性による文筆業の歴史を、上代から探ってみれば良いですし、それで終わりです。

いっぽうで、オリジナル漫画品評会の軒先を借りて、テレビオリジナルアニメのキャラクターを借り、『らぶり』の紹介した名称を借りた人々は、社会学的に興味深い現象ではありますが、こちらを研究するなら大規模なアンケートかフィールドワークを実施する必要があります。

ざっくりと「やおい少女」と呼ばれた人々は、実際には成人を含んでいたはずです。1970年代から二次創作を手がけていれば、1980年代には成人しています。1990年代には尚更です。

「やおい」という名称は混乱を生じ、いわゆる「手垢」がついたために、代わって登場したのが「腐女子」で、これは当然ながら誤変換の一種ですから、筆記作業がデジタル化されてからの現象です。

さらに現代の「やおい同人」が好んで使う「ホモ」という言葉は、「原作ではその関係にない男性キャラクター同士の恋愛関係」を指しているので、本来はこれが「やおい」に当たるのだろうと思います。

「A君とB君のやおい」って言いにくくなったので「A君とB君のホモ」って言うわけです。

何ごとも、すでに存在するものを借りてくるわけで、その「根づいていない感じ」は現代の女性に相応しく、遊びという言葉にも相応しいのですが、借り物で商売したと言ってしまうと……困るです。



関連記事