【BLアジール説の矛盾と会田誠展。】

Misha


もし、BLであることを弁護するつもりで、「じつは元々わたしのほうが社会の被害者で」と言い訳すれば、どうなるでしょうか。

すでに自分が意趣返しとしての悪事を働いたことを認めたことになります。

すなわち、BLは「悪いこと」であると認めたことになります。

また、被害がなくなればBLもなくなるはずである、という逆転の予想が立ってしまいます。

「BLは男性中心社会の横暴が生んだ女心の病変です。親愛なる男性の皆さん。今日からジェントルマンに変身し、金曜日にはワインを買って、家事と育児を手伝い、やおい少女の再生産を阻止しましょう」

ってな意味になります。女性に対しては「早くいい人みつけましょう」と言っていることになります。


【会田展の教訓。】

今から数年前に、会田誠の展覧会が物議をかもした時も、似たような主張がなされました。

女性のイメージ搾取被害と児童への配慮を混同したクレーム文書自体も、はなはだ無様なものではありましたが、それに対して美術館側が最初のうちは「表現の自由」で突っぱねていたところ、次に出された声明は、残念至極なものでした。

少年漫画における性的描写の氾濫に警鐘を鳴らすつもりで展覧会を企図したといえば……

「あんな少年漫画がなければ、こんな展覧会もなかった」

すなわち、こんな展覧会は、あるべきではなかったと認めたことになります。

これに関して、会田自身があわてて「漫画には迷惑をかけたくない」と弁解しましたが、そもそも漫画がどうこう言ったのは彼ではありません。

芸術家自身の「世間に何と言われようが、俺は美少女を描いて発表したい」という表現意欲が、美術館によって否定されたのです。

弁護を買って出たつもりで、クレームの勢いが強く、「表現の自由」では押し通せないと思うと、本末転倒したことを言い出して、創作家の首をしめる人がいるのです。

もしかしたら、創作物そのものは、どうなってもいいと思っているのかもしれません。社会学者の研究材料も、美術館の展示物も、他があるからです。

関連記事
Posted byMisha